表現、解釈、世相の違い
先週は風邪で1日寝込んだ日があった。少し時間ができたので、Amazon Primeで気になっていたドラマを視聴。リニューアルされた「ハゲタカ」である。
「外資系ファンド代表の鷲津政彦が、不良債権処理や企業買収を通して腐った日本企業にメスを入れていく、それを通して日本が抱える問題を正面から直視する、というストーリー」である。原作は作家・真山仁の経済小説。
元々はNHKで放送されており(2007)、大森南朋が主役をつとめていた。あまりテレビ・ドラマを見ないのだが、このドラマだけは今でもiPhoneに入れて時々見ることがる。そのリニューアル版がどんなものか気になっていたのだ。リニューアル版の主役は綾野剛。見比べてみて、かなり俳優によって違いが出るものだなと関心した。
主役である鷲巣政彦、このキャラクターがどれだけ闇を抱えているのか、その表現に違いが見られた。旧ハゲタカでは大森南朋が見せる優しさの表現が、現在の鷲巣政彦の冷徹の対になって、闇の深さがより一層強く感じられた。 一方で綾野剛のバージョンは、その闇を前面に押し出して表現する様子を感じた。
鷲巣政彦の存在は「敵なのか味方なのか」、旧作当時の12年前なら意見が分かれていたのかもしれない。現代、鷲巣政彦の存在は「望まれるヒーロー」に違い演出になっている。綾野剛がキメる場面は、水戸黄門的で勧善懲悪のヒーローもののそれに近い。これは世相の違いだろう。原作は同じだが、世相に合わせた解釈が違うのだ。
表現の違いは、世相に合わせた解釈の違いに由来する。
…そういえば、長年使っているメガネはこの時の鷲巣政彦が使っているものを見て、近いものを買った記憶がある。もう12年ものか。。。